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Minami’s クラブ

第3話

文通していたJ君との手紙をある日Mさんに見つかってしまいました。
英語ばかりの手紙で何を書いてあるのか、わからないだろうと思っていたら

「俺だって I like you くらいわかるんだよっ!!」

と怒鳴られました。
たしかにJ君の手紙には時々そういう事も
書いてありました。でもそんないやらしい気持ちなどなく
本当に友達として付き合っていたので、Mさんの怒りに
私も納得のいかないものを感じました。

「離婚の時、慰謝料取ってやるからな!覚えておけ!」
と彼は身の回りの自分の洋服などをかばんに詰めて
家を出ていってしまいました。

でも何故かホッとした気分でいっぱいでした。
「もういつ別れてもいい、、、」そう思っていました。

数日後彼から電話がありました。

「仕事に車が必要だろうから、Minami用に中古車を用意したから。。
しばらく別居しよう。俺もよく考えてみる」

それから半年の間私たちは別居という形を取りました。
でも私は彼からの酒乱暴力から開放された安堵感で
すごくすがすがしかったのを覚えています。


そんな時、失踪した母の弁護士という人から父の元へと連絡
が入りました。弁護士の言い分では

「離婚してほしい。慰謝料を1000万請求します」

ということでした。
私も父も
「勝手に出ていってなんなんだ!?」と
母への嫌悪感を募らせていました。

それから母と父との離婚裁判が始まりました。
裁判は数年かかりました。

家庭裁判所で母に怒鳴りつけたりも
しました。私がずーっと調べていてわかった事は
母には男の人ができたのでした。その男は母より20才も年上の
よぼよぼのおじいさんで、しかもちゃんと家庭があるのにも
かかわらず、母をそそのかしたのです。

私は別居中の半年の間、父の支えになり、そしてそんな私を
文通で支えてくれたのがJ君でした。
別居してからは、お互い電話で会話したり、
ビデオレターを送り合ったりしました。

私の気持ちの中でJ君の存在がしだいに大きくなり、J君もまた
私に会いたくて仕方ないという気持ちでいっぱいでした。

彼の大学の夏休みにアメリカへ遊びにこないか?と誘われました。
でもまだちゃんと離婚していない私は、この中途半端な状態では
彼には会えないと思い、Mさんにはっきり「離婚したい」
と伝えました。

Mさんは土下座して謝りました。

「許してほしい。もう一度
やり直したい」

でも私の答えは「ノー」でした。

以前の私だったら、きっと許していたかもしれません。
でもJ君との文通の中で、「強くならなくちゃいけない」
という事を教えられました。

そしてついに「離婚」。父や母のようにドロドロ裁判を
したくなかったので、慰謝料ちょっとと車をもらい
離婚しました。

晴れやかな気分で私はアメリカのJ君に会いに行きました。
でも初めてのアメリカ旅行への不安と、J君の家へは泊れない、、
と思って女友達を誘っての旅行でした。

久々に会うJ君。初めてのアメリカ。何もかも新鮮でした。
そして私とJ君は改めてお互いの気持ちを確認しあいました。
1週間の滞在の後、私とJ君の遠距離恋愛が始まりました。

J君とは合計で2年付き合いました。でも実際合ったのは
4度。夏に私が会いにいき、冬に彼が会いにくる。。。という
遠距離でした。

最後に日本に遊びに来たとき、J君にプロポーズされました。
「来年大学を卒業する。そしたら結婚してほしい。。。。」

結婚への不安がなかったとも言えません。
結婚するまであんなに紳士でやさしかったMさんが
豹変してしまったショックも忘れたわけじゃありません。

でもこの2年一生懸命遠距離恋愛をつらぬいてきたJ君となら
きっとうまくやっていける。そう信じていました。
そして彼がアメリカへ帰る前日、プロポーズの返事をしました。

彼はものすごく喜び、アメリカへ戻ったらすぐに
両親に話して、結婚の準備を進めると言ってアメリカへ帰って
いきました。

母と父との離婚裁判もようやっと決着し、慰謝料なし、
お互いが弁護士料を払うということで終わりました。

ほっとした父を前に私もJ君との婚約を告げました。
父はものすごく喜んでくれました。
「今度の結婚こそうまく行くといいね。」と言ってくれました。

今度こそ・・・・・

私は本当にそう思っていたんです。

あの日、今の主人Tさんに出会うまでは・・・・・

すみません。。。。期待させてしまって・・・・
明日が最終回です。ようやっと主人が出てきたところで
明日の修羅場も是非期待していてください!

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